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感動した!

大学時代、私はオーケストラに在籍していた。
その名も、ドイツ語で「1つの小さなオーケストラ」。
そんなちっちゃなオーケストラが、あれよあれよという間に
15年目を迎え、現役生からOB/OGまで混じって演奏会をするというので、
心地よい秋風の吹く午後、パルテノン多摩まで足を運んできた。

開演より少し早めに席に着き、周りを見回していると、
さっそく懐かしい顔に遭遇。
でも、あれ?!Y君って海外勤務じゃなかったっけ??
そう思って尋ねてみると、なんと偶然出張があり、昨日日本に着いたのだと言う。

「この演奏会、聴かなきゃ一生後悔しそうだもん」

疲れてない?と聞いた私に、Y君はこともなげにそう言った。その言葉を聞いて、私も、思わず自分が来た意味を確認する。
そう、今日来なかったら後悔する。
だから、私も来たんだ、と。
そして、この思いは、演奏が始まった瞬間、確信へと変わった。

”前プロ”は、ベートーヴェン「エグモント」序曲。
冒頭で弦楽器パートが音を奏でた瞬間、思わず座席から身を乗り出してしまった。
まろやかなのに、厚みのある弦の音。
それが、波のようにかたまりとなって客席へと押し寄せてくる。
…すごい、この迫力!
うちのオケって、こんな音、出せたんだっけ??
前プロは、たいてい皆カチコチに緊張して、
調子が出てきたなーと思った頃には曲が終わっている、というパターンが多かったが、今日は冒頭から音が鳴っている!!
これには、本当にびっくりさせられた。

続く”中プロ”は、曲にこめられたモチーフを各パートが表すのにちょっと苦労をしていたかな??
でも、そんな印象も”メイン”のマーラー「交響曲第1番」で吹き飛んでしまった。
一応、元金管楽器メンバーとしては、まっさきに金管セクションに目が行くのだけど、まずその人数の多さにびっくり。
そして、音の迫力と安定感に二度びっくり。
ステージ上では、いろいろとハプニングも起きていたけれど、
きっと皆の気持ちは1つになっていたのだろう、
まるで「ちっちゃなオーケストラ」の成長を見せつけるかのごとく、巨大なエネルギーを持った音がラストまで鳴り響いていた。
指揮者の先生が腕を振り上げ、最後の一音が終息した瞬間、
客席から沸き起こった拍手が、「割れるような」ものではなく、「温かみ」をもったものであったことを、私はしばらく忘れないと思う。

レセプションのとき、このオケを作った1期生の先輩と話していたのだが、
12名からスタートした1年目は、ステージのある教室がまだ完成していなかったため、それほど大きくない講義棟で細々と練習していたのだと言う。
2年目でこそ、高校のアマオケの楽器経験者を勧誘することに成功し、教室も出来て、オケらしい曲を演奏することができるようになったそうだが、
私の入った4年目も、まだまだ人は足りなくて、
演奏会になると降って沸いたようにエキストラが登場し、
パンフレットにも、「団員」より「賛助」の文字の方が多いパートが見られたほどだった。
レベルの面から言っても、初心者が多く、曲決めのときに「マーラー」なんていう大それた名前が出てくることは考えられなかった。私なんかは「交響曲」という名前がつくだけで、大曲=無理!と思っていたものである。

こんなオケが、15年経ち、「ちっちゃなオーケストラ」から「オーケストラ」に生まれ変わっていた。
パンフレットを見ても、「賛助」の文字はとても少ない。
何より素晴らしいと思ったのは、メンバー表に上は1期生から下は16期生までが並んでいたこと。
1期生の苦労に対して、次の学年、その次の学年が努力で報い、それが16期生までつながってようやく「マーラー」を演奏するまでになったという歴史の重みを、メンバー表は静かに物語っていた。

今日は本当に行って良かった!
素晴らしい演奏をしたみんな、それを支えたみんなに拍手!
# by kunemo | 2006-10-10 00:53 | 音楽・ミュージカル

私を包む幸せ

9月初め、予期せぬウィルスが私の身体を侵略し、
これまた予期せぬ2週間の自宅療養を強いられることとなった。
・・・って、単に成人性の水疱瘡だったんだけど・・・(^^;)

いやぁ、この年になって、水疱瘡なんていうものにかかるとは
まったくもって予想していなかった。
だって、水疱瘡なんて、子供の病気だと思っていたから!
しかし、侮ることなかれ。
大人の水疱瘡は、本当に症状が酷い!
「他人にうつらないように」ということで医者から強いられた2週間の外出禁止だったが、
最初の1週間は、高熱と身体のだるさで医者から言われなくても外出できなかったと思う。

そんななか、私を救ってくれたのは、医者の存在や薬の力だけではなかった。
知人・友人からの心あたたまるプレゼント・・・
それは、メールや手紙の中にしたためられた優しい言葉だったり、
身も心も癒してくれるあたたかい贈り物だったり・・・

会社の同僚たちからは、私の頼んだ休暇申請やら仕事の書類やらと一緒に、
かわいいカードが送られてきて、その中には、私を楽しませてくれるメッセージが
いっぱいつまっていた。
親友たちからは、心を癒してくれるような暖かい光とほのかな香りを放つアロマキャンドル、
優しい言葉で綴られた小説、暇つぶしにはもってこいの長編推理小説・・・
きっと、みんなだって日々いろいろなストレスと闘っているだろうに、
自分を癒すより先に、他人のことを考えてベストなものをチョイスし、
贈ってくれたのかと思うと、その気持ちだけでもう心は満杯だった。

毎日、なんでこんな目にあってるんだろう、とか
前厄だからかな、とか
体調の悪さとともに気持ちまでマイナス志向になっていたけれど、

 自分のまわりには「悪い」ことばかりじゃないんだ
 ほら、こんなに素敵な人たちがいて、
 こんなに大きな幸せをくれているじゃない?

そんな大切なことに、改めて気づいた。

 みんな、どうもありがとう☆

次は、私の番。
誰かがどうしようもなく落ち込んでいたら、私がぬくもりのある手を差しのべる番。
それを、わざとらしくなく、みんなみたいに自然にできるかしら?
# by kunemo | 2006-09-24 15:44 | 思うことなど

夏の終わり。

昨日、ダンスの公演が終わった。

1年間のブランクを経て、
ダンスに復帰したその日に公演の申込用紙が配られた4月。
「今年は出ない!」って宣言していたのに、
レッスン仲間の強い勧誘(?)に負けて、1曲だけ出演することにした5月。
「6月18日は空いてる??」という先生の言葉に、
「はい♪」とお返事したら、
その日が新曲の振り移しの日で、2曲目の出演も決まってしまった6月。

それ以降、
振りのポーズがなかなか決まらなくて落ち込んだり、
仕事で遅くなったからと、空腹のままレッスンに行って、目まいを起こしたり、
合同稽古で矢のように注意を浴びて泣きたくなったり、

何度も「出演するなんて言わなきゃ良かった」と思うことがあった。
「やっぱり1曲にします、って言っちゃえば?」
「休養も必要だよ。今週くらいレッスン休んじゃえば?」
私の中で、いったい何度悪魔の声が囁いたことだろう。

でも、そんなとき、
いろんなことが私を救ってくれた。

例えば、先生の熱意やダンスに対する姿勢。
今年から指導を受け始めたY先生は、
踊りに入る前のエクササイズから、
徹底的に私の悪いところを指摘して直して下さった。
そして、公演に出る人がクラスに私しかいなかったにもかかわらず、
私が出来るようになるまで、その振りを取り入れた基本練習をして下さった。
おかげで、「先生の指導にせめて1つでもいいから応えたい」という思いが、
私の足をレッスンに向かわせた。

指導を受けて数年になるO先生は、
いつも楽しく踊ること、音楽をよく聴くこと、
そして、観客の視線がどういうところに注がれるのか
ということを教えてくださった。
そして、合同稽古などでは、先生ご自身が
その言葉の真意をわからせるダンスを見せてくださった。
「音楽が身体を動かしているんじゃないか?」と錯覚するくらい、
音の流れと身体の動きが一体化している先生のダンスは、
見ている者の心を動かし、見終わった後、心の中に何ともいえない
清涼感を残してくれた。
「ああいうダンスを踊れるようになりたい」
そういう思いが、レッスンの苦しさを何度も乗り越えさせてくれたように思う。

一緒にレッスンを受けている先輩の存在も大きかった。
何度注意されてもできなくて、
どこをどう直せばいいのかもわからなくて、
どうしようもなく落ち込んでいたとき、
今まであまり話したことがなかった先輩と一緒の電車になり、
ふっと愚痴をこぼしてしまったら、
「前よりポーズ決まってきてるよ」とか
「足が床に付いてないから回れないんだよ」
など、励ましと一緒にいろんなことを教えてくださった。
こんな私のことも、ちゃんと見ていて下さったんだ…
そう知ったときの嬉しさ。
そんな小さな喜びも、私をレッスンから遠ざけなかったように思う。

こうして、いろんな人の力を借りて、昨日を迎えることができた。
本番では、普段できなかったことが急にできるようになる、
といった奇跡は起きず、
最後までできなかったことはできなかったし、
練習が足りなかったところは失敗したけれど、

それでも、
フィナーレの幕が降りた後、
心の中に残った不思議とさわやかなキモチ。
それは、
充実感だったり、
これまで私を支えてくれた方々への感謝だったり、
純粋に「やってよかった」という感想だったり。

とにかく、春からずっと続いてきた私のダンス生活が、
夏の終わりとともに終わった。

今日からは、また普段どおりの穏やかなレッスンがスタート。
それがちょっぴり寂しくもあったのは、私だけだろうか?

* * * * * * *

個人的にはつたないダンスをお見せしてしまったけれど、
観に来てくださった皆様、どうもありがとう!
# by kunemo | 2006-08-29 01:12 | スポーツ

俳句と川柳の会

古典朗読の先生に誘われて、数ヶ月前から月1回、
「俳句と川柳の会」に参加させていただいている。
この会、平均年齢なんと80歳前後!
とはいえ、皆様、出身は放送業界。発話は明瞭、会話は粋、
ついでに詠まれる句も見事なものである。

そんな中に、恐れ多くも足を踏み入れてしまった、私を含む素人3名。
初めのうちこそ、初心者の強みで気楽に参加していた私だが、
会が進むにつれて、頭の中がとまどいで埋め尽くされていくのを感じ始めた。

まず、ベテランの方々が
「これはいい句だね~」
と絶賛している俳句や川柳の意味が、さっぱりといっていいほどわからないのである。

さらに、「ものは試し」と、中学の国語の時間以来久しぶりに作った俳句を
投句してみたところ、
「季語がだぶってる」
「感じ方が平凡だなぁ~」
「うーん、一応形にはなってるけど、情景の説明に終わってるよ」
「考えすぎ」
・・・と、ありとあらゆるキビシイご指摘を一斉に賜る始末。

落ち込む、というより、すっかり当惑してしまった私だったが、
そんな私に気づいてか、帰りにある方がこうアドバイスして下さった。
「俳句や川柳の中心は、『自分』なの。
だから、誰が見てもわかる情景を『説明』してはいけない。
人にわからない、『自分の感じ方』を表すの。
そのためには、感性を磨くことが大切。
新聞、ニュース、身の回りの自然・・・
あらゆるものに注目して、そこに感性のアンテナを張りなさい。
そして、もうひとつ『季節感』がとても大切なの。
だから、『歳時記』をお読みなさい。
最後に、俳句や川柳にも『ルール』があるの。それは守らないといけないわね。」

その方はそう言って、お勧めの「歳時記」と、「俳句入門」の本をご紹介下さった。
やはり、本物の「俳句・川柳」の世界は、奥が深いんだなぁ。
帰りに、私がさっそく本屋に立ち寄ったのは、言うまでもない。

そして2ヵ月後。
3回目の会に、先日参加してきた。
初回に比べ、ベテランの方々が選句する句に対しても、「あぁ、いいなぁ」と
思えるようになってきた私。
しかも、先日は嬉しいことに、ベテランの方々が選句して下さった句がいくつかあった!
初回の厳しいご指摘を思えば、それはあまりに嬉しいことで、
自分の句帳に控えた「選句された句」の上に、大事に○をつけた私だった。

次回の季題は、今まで聞いたこともない言葉がずらり。
まずは、歳時記を開いて、その言葉を自分のものにするところから
始めなくちゃいけないなーと思っているところである。
# by kunemo | 2006-08-13 12:35 | にほんご

かけ声

ダンスの公演まで、あと2ヶ月あまり。
今週から、2曲目の振り移しが始まった。
曲は、ラテンジャズの有名な曲「テキーラ」。
軽快なリズムと同じく振りも軽快で、なかなか楽しく踊れそうな予感がする。

日曜に行われた合同稽古では、全員で客席に向かって
「テキーラ!」
と叫ぶところで振り移しが終わった。
今週は、この部分まで練習しているのだが、
カルチャースクールの狭い教室では、大声を出すことが恥ずかしくて、
なかなか声が出ない。
私もそうだが、ふと隣を見ると、同期の友人も毎回口ごもっている。
やっぱりみんな照れちゃうもんよね…。
少なくとも、そのときは、そう思っていた。

その後、しばらく個人練習をする時間となり、
私が鏡の前で1つ1つの振りをチェックしていると、
その友人がそばに来てこう言った。

「私ね、『テキーラ』って言うとこ、
なぜかいっつも『アミーゴ』って言いそうになっちゃうのよね~」


えええええええ~っ?!!!!
爆笑、大爆笑。
彼女が毎回口ごもっていた理由はそれだったのか。

それ以来、「テキーラ」と叫ぶところに近づくたび、
彼女が「アミーゴ」って叫ぶのではないかと気になって、
一挙手一投足から完全に神経が飛んでしまっている私。
よりによって、この場所だけ1列目なのに(><)
本番までに彼女が一度も「アミーゴ!」と叫ばないことを願うばかりです。
# by kunemo | 2006-06-21 23:08 | スポーツ